残業代請求を和解で解決する場合の注意点-和解と賃金債権放棄

  • 残業代請求対応、未払い賃金対応

労働者から未払い残業代を請求された場合、会社としては、どのように対応すべきか迷われることも多いと思います。

もちろん、労働者からの請求が合理的かどうかを検討することになるかと思いますが、請求内容に一定の合理性がある場合には、会社としては、徹底的に争うよりも、他の労働者への波及等を考慮して和解や合意等で早期解決を目指したほうが良いこともあります。

ただし、労働者との間で和解・合意等したとしても、その内容をしっかり吟味しておかなければ紛争の再発や拡大を招きかねません。

そこで、労働者からの残業代請求を和解・合意等で解決する場合の注意点を以下詳しく見ていきましょう。

目次

未払い残業代の請求と和解による解決

上記したとおり、労働者からの未払い残業代を請求された場合、会社としては、①請求に合理性がないとして徹底的に争う、②請求に一定の合理性があるとして、早期解決等を目指して合意や和解等で解決する、という対応が考えられます。

どちらの対応を取るべきかについては、請求内容はもちろん、自社の就業規則の内容等、労働者の労働の実態及び会社によるその把握・管理の程度、他の労働者への波及、など様々なことを踏まえて考えていく必要があります。

しかし、実務上は、請求内容が全く不合理である場合を除いて、多くの場合、②合意や和解等で解決することが多いです。

ただし、仮に②請求に対して合意や和解等の対応を取る場合でも、以下詳しく述べていくとおり、蒸し返しをされないようにするなど会社として気を付けるべきポイント等が多くあります。

和解の意義と効力

「和解」というのは、世間的にもよく使われる用語ですが、争いのある当事者間で互いに譲歩をし合って紛争を終わらせるよう合意することを指します(民法695条)。

仮に、有効に「和解」した場合、基本的には、争いの対象で、互いに譲歩して決めたことについては、当事者はその後争えなくなります(民法696条)。

会社としては、労働者からの残業代請求について、解決後に蒸し返されないように、注意しながら和解することが重要になります。

和解後に紛争を蒸し返すことは許されるのか?

上記したとおり、有効に和解した場合、基本的には、当事者はその後争えなくなります。

仮によく内容を理解しないまま和解してしまうと、あとから、その和解を覆すような証拠が見つかったとしても、和解の効力は基本的に維持されます。和解にこのような効力がなければ、せっかく合意で解決したのに蒸し返しができてしまい、解決手段として使いにくくなってしまうためです。

しかし、実際には、労働者から「あの和解は強要されたから無効だ」などと争われることもありえます。会社としては、通常の和解と異なり、労働者からの残業代請求についての和解については、以下で詳しく述べていく賃金全額払いの原則やそれに伴う賃金債権放棄との兼ね合いで和解の有効性が問題になる可能性があるため、注意しておく必要があります。

賃金全額払いの原則と賃金債権放棄の関係

まず、「賃金全額払いの原則」については、労働者保護のために、労働基準法24条1項において定められているのですが、かかる原則に伴い、労働者に賃金債権を放棄させることに気を付けるべきポイントがあります。

以下、詳しく見ていきましょう。

賃金全額払いの原則

「賃金全額払いの原則」というのは、労働基準法に「使用者は、賃金の全額を労働者に支払わなければならない」(労基法24条1項)と定められているものです。賃金は、労働者にとって重要なので、全額を支払うよう会社に要請し、労働者に賃金全額を受領させ、労働者の生活を向上させるためにこのような原則が定められています。

賃金債権を放棄することの有効性

上記した「賃金全額払いの原則」があるために、労働者が賃金債権の放棄をする場合、つまり、労働者が賃金をもらうことを放棄する場合、その放棄の有効性についてはきちんと吟味する必要があります。

上記したとおり、労働基準法において賃金を全額支払うことを使用者側に課しているため、賃金債権を放棄するというのは、この原則に反していることから、本当に、労働者が任意に賃金債権を放棄しようとしているのかが重要になるためです。

裁判例上も、賃金債権の放棄が「労働者の自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在しているか」どうか、という基準でその有効性を判断しています。

以下その裁判例について詳しく見ていきたいと思います。

賃金債権放棄の有効性に関する裁判例

賃金債権の放棄の有効性に関する裁判例として有名なのが、以下で取り上げる、【シンガー・ソーイング・メシーン事件(最二小判昭48年1月19日)】です。

事件の概要

当該事件は、労働者が賃金の一種である退職金の請求権を放棄したことの有効性が争われたものです。

Y社に勤務していたXが、Y社との雇用契約の解約にあたり、Y社の就業規則上、退職時に408万円余りの退職金を受領できたはずであるにもかかわらず、解約の際に、「Xは、Y社に対して、いかなる性質の請求権をも有しないことを確認する」旨の記載のある書面(以下、「本件書面」といいます。)に署名して、Y社に提出していたのですが、Xが就業規則に基づき、退職金約408万円等を請求したものです。これに対して、Y社が、本件書面によりXが退職金を放棄したと主張したため、かかるXの退職金の請求権の放棄が有効かが問題になったものです。

裁判所の判断(事件番号 裁判年月日・裁判所・裁判種類)

原判決(東京高判昭和44年8月21日)は、本件書面に基づきXによる退職金の請求権の放棄について有効と判断しました。

最高裁も、Xによる退職金の請求権の放棄を有効と判断しました。

具体的には、まず、退職金の請求権の放棄の有効性について、Xの自由な意思に基づくものであることが明確でなければならず、Xの自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在しなければならない、という判断基準を示しました。

その上で、XがもともとY社の西日本の総責任者の立場にあったこと、XがY社の退社後にY社の一部門と競争関係にある他社へ就職することが判明していたこと、Xが経費を不正に使用していた疑惑があり、その疑惑のもとでY社の損害の一部を補填する趣旨で、Y社が差し出した本件書面にXが署名したこと、などを踏まえて、Xによる退職金の請求権の放棄の意思表示がXの自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在していたと判断し、放棄の有効性を肯定しました。

ポイントと解説

本判決では、最高裁として、退職金の請求権ではありますが、労働者の賃金債権の放棄について、労働者の自由な意思に基づくものが明確でなければならず、また、労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足る合理的な理由が客観的に存在するかどうかで有効性を判断することを明確にしました。

また、労働者の自由な意思に基づくかどうかについては、①当該労働者の立場(会社への従属性の度合い等)、②賃金債権の放棄に至る経緯・背景などが考慮されることを示したことはポイントとなると思います。

この点、本判決には、色川裁判官の反対意見が付されており、当該反対意見は、③債権の放棄によって労働者がどのような事実上、法律上の利益を受け取るかをも吟味すべきとしており、会社として、労働者の賃金債権の放棄の際に、③の点も注意しておいた方が良いといえるでしょう。

和解が「賃金債権の放棄」として問題になり得る可能性

労働者からの未払い残業代請求の際に、会社として和解に応じる際には、上記した「賃金債権の放棄」として問題になり得る可能性を秘めているため気を付けなければなりません。

というのは、すでに述べたとおり、和解する際には、互いに譲歩して紛争を終結させることから、労働者としても、未払い残業代として請求していた額よりも通常は低額な額で会社側と和解するためであり、未払い残業代も賃金の一部ですから、賃金債権の放棄がなされているとみる余地があるからです。

そのため、労働者が未払い残業代請求をした後に、会社側と和解した場合でも、当該労働者が「会社から和解を強要された」などと主張すると、労働者が自由な意思に基づいて賃金債権を放棄したのかどうかが疑わしくなってきてしまう、ということになりかねません。

和解で解決するにあたって使用者が注意すべき点

では、会社側としては、労働者からの未払い残業代請求に当たってどのような点に気を付けるべきでしょうか。

労働者からの未払い残業代請求に対しては、多くは、会社としても、「計算方法が間違っている」「時間外労働時間の計算が過剰である」などといった反論をして請求額の減額を図るものの、強迫などといった乱暴な手段で和解させるようなことはしないと思います。当然ながら、強迫を用いた手段で、労働者に和解させた場合は論外ですが、通常は、会社側として、労働者側と主張・反論を繰り返しながら和解の道を探っていくことになるため、和解が成立する場合には、互いに譲歩をしていく過程があるはずです。

労働者が自由な意思に基づいて賃金債権を放棄したかどうかで賃金債権の放棄の有効性が判断されることからすれば、こうした交渉については、可能な限り書面等で行うべきであり、書面等で交渉の経過の記録を残しておくべきでしょう。また、和解を書面で取り交わす際も、和解内容を別に記した説明書を残しておいたりすることも有効でしょう。

よくある質問

残業代請求で和解が成立しなかった場合はどうなるのでしょうか?

労働者から未払い残業代請求が来た場合、会社としては、まずは、労働者側と交渉することになるでしょう。

しかし、交渉で労働者側と示談ないし和解が成立しない場合、労働者側としては労働審判を申し立ててくる可能性があります。労働審判については、以下のページをご参照ください。

労働審判で審判が出されても、異議申し立てがなされれば、裁判に移行することになります。裁判でも裁判官から和解勧奨があるかと思いますが、和解が成立しない場合には、判決が下されることになるでしょう。

未払い残業代の請求で、労働基準監督署(労基署)が介入することはありますか?

まず、労働者からの会社に対する未払い残業代の請求と、労基署の介入は別物です。

そのため、労働者から未払い残業代請求をされても労基署が介入しないこともありますし、労働者から未払い残業代の請求がなくても、労基署が介入することもあります。

労基署が介入するのは、労働者側が労基署に未払い残業代があるなどと相談した場合であり、会社としても労基署の介入などにより大ごとになる前に労働者と話し合いをして解決していくべきでしょう。

退職する従業員に、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能ですか?

退職する従業員(労働者)との間で、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能です。上記【シンガー・ソーイング・メシーン事件(最二小判昭48年1月19日)】でも、退職金の請求権の放棄の有効性が問題となりましたが、具体的事情を考慮して有効と判断しました。

そのため、労働者との間でその誓約書の取り交わしの際に、①どのような経緯・背景で退職金債権の放棄となったのか(放棄による対価はあるのかなども)、②それを労働者側にどのように説明していたか、③労働者側が誓約書にどのような反応をしていたかなどがポイントとなって、誓約書を取り交わしたとしても無効になる可能性も否定はできないので気を付けましょう。

実際に、退職後に残業代を請求しないと合意した点について有効性が争われたものとして、【インガソール・ランド事件(東京地判平成23年1月28日)】がありますが、①早期退職にあたって優遇された条件である代わりに、その他一切の賃金等を請求できなくなるという内容になっていたこと、②会社側として説明会を開いて、きちんと説明を尽くしていたこと、③労働者側が自発的に合意書に署名・押印をして、その際に、退職条件等について異議を述べるなどしていなかったこと、などが考慮されて、退職後に残業代を請求しないと合意した点について有効と判断しました。

未払い残業代請求における、和解金の相場はいくらぐらいですか?

未払い残業代において、和解金の相場はないといえるでしょう。

というのも、賃金や手当、労働時間等そもそもの労働条件が労働者によって異なるため、未払い残業代の額や内容等もケースバイケースであり、実際に労働者から請求されて、その内容等を検討してみないとわからないためです。

また、未払い残業代の請求は、労働者からの請求がすべて認められる、すべて認められない、という0・100で判断されるものでは基本的にはありませんし、請求された都度、会社としての対応を考える必要があります。

未払い残業代の請求に時効はあるのでしょうか?

未払い残業代の請求に時効はあります。

起算点は、各賃金の支払い日の翌日から進行し、2年で時効にかかります。なお、2020年4月以降に発生した賃金等については、3年で時効にかかることになります。

しかし、時効にかかるといっても会社がきちんと消滅時効を援用する必要があります。

従業員の退職時に、未払い賃金がない旨の念書を取り交わしました。この念書に法的な効力はありますか?

既に述べたとおり、退職する従業員(労働者)との間で、退職後に残業代を請求しないと約束する誓約書を交わすことは可能ですから、未払い賃金がない旨の念書を取り交わすことも可能でしょう。

しかし、その念書の取り交わしの際に、①どのような経緯・背景で退職金債権の放棄となったのか(放棄による対価はあるのかなども)、②それを労働者側にどのように説明していたか、③労働者側が念書にどのような反応をしていたかなどがポイントとなって、念書を取り交わしたとしても無効になる可能性も否定はできないので気を付けましょう。

賃金債権放棄が無効とされるのはどのようなケースですか?

すでに述べたとおり、賃金債権の放棄が労働者の自由な意思に基づくものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在しているかどうかという基準で、賃金債権放棄の有効性を判断します。

ただし、労働者の自由な意思に基づくかどうかは、比較的厳格に判断されるので、単に、労働者が異議を述べずに放棄に合意しただけでは足りず、放棄によって得られる対価や労働者の立場なども踏まえて判断されます。

そのため、会社が、①強硬的に労働者に賃金債権の放棄を迫った場合はもちろん、②放棄による対価がない場合など放棄に至る事情や背景が不明である場合や、労働者が従属的な立場であり、自由意思に基づく放棄とは認められないような場合にも、賃金債権の放棄が無効と判断されてしまう可能性はあるでしょう。

残業代請求の和解後に「和解は会社から強要された」と主張されました。この場合はどう対処すべきでしょうか?

上記したとおり、労働者からの未払い残業代請求に対しては、多くは、会社としても、「計算方法が間違っている」「時間外労働時間の計算が過剰である」などといった反論をして請求額の減額を図るものの、強迫などといった乱暴な手段で和解させるようなことはしないと思います。通常は、会社側として、労働者側と主張・反論を繰り返しながら和解の道を探っていくことになるため、和解が成立する場合には、互いに譲歩をしていく過程があるはずです。

そのため、こうした和解に至る過程を書面でやり取りするなどして、記録化しておき、その記録を労働者に開示しましょう。そうすると、「会社からの強要」という主張に対して容易に反論していくことができるものと思います。

和解交渉は口頭よりも書面でやり取りした方がいいのでしょうか?

上記したとおり、労働者が自由な意思に基づいて賃金債権を放棄したかどうかで賃金債権の放棄の有効性が判断されることからすれば、和解交渉の経過については、可能な限り書面等で行うべきであり、書面等で交渉の経過の記録を残しておくべきでしょう。

また、和解を書面で取り交わす際も、和解内容を別に記した説明書を残しておいたりすることも有効でしょう。

和解合意書を作成しておけば、再度残業代を請求されることはないですか?

上記したとおり、労働者が自由な意思に基づいて賃金債権を放棄したかどうかで賃金債権の放棄の有効性が判断されることからすれば、和解合意書ももちろん重要ですが、和解交渉の経過についての記録が重要になります。

そのため、和解合意書だけでなく、交渉の過程を書面でやり取りするなど交渉の過程を記録化するとともに、和解合意書に記す和解内容について労働者にきちんと説明して同意を得たことを示す説明書などもあるとより良いと思います。

未払い残業代請求で和解による早期解決を目指すなら、経験豊富な弁護士に依頼することをお勧めします。

これまで見てきたとおり、会社としては、未払い残業代請求で和解する際にも、単に和解すれば足りるのではなく、和解に至る過程や和解する内容などにも十分注意する必要があります。

せっかく和解したにもかかわらず、蒸し返しをされ、再度、労働者側と和解交渉せざるをえなくなることは会社にとってかなりの負担であり、多くの時間と労力を費やしてしまいます。

そのため、労働者から未払い残業代の請求が来た際には、労務管理に精通した、経験豊富な弁護士に相談・依頼されることをおすすめします。

神戸法律事務所の弁護士は、労務管理に精通しており、未払い残業代請求についての対応等の労務管理の経験も豊富であるので、お困りの会社の方、使用者の方はいち早く神戸法律事務所にご相談ください。

この記事の監修

弁護士法人ALG&Associates 神戸法律事務所 所長 弁護士 小林 優介
弁護士法人ALG&Associates 神戸法律事務所 所長弁護士 小林 優介
兵庫県弁護士会所属。弁護士法人ALGでは高品質の法的サービスを提供し、顧客満足のみならず、「顧客感動」を目指し、新しい法的サービスの提供に努めています。
兵庫県弁護士会所属。弁護士法人ALGでは高品質の法的サービスを提供し、顧客満足のみならず、「顧客感動」を目指し、新しい法的サービスの提供に努めています。

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